2012年01月18日
和歌山でホームステイ受け入れ(2)シンガポールの女子高生
和歌山の実家で受け入れましたホームスティに関する記事の第二弾です。(第一弾のNZマオリ族の女の子二人のお話はこちらを御覧下さい)
確か…2002年のことだったと思います。(すみません、年数がちょっと曖昧です)
冬休み中の受け入れだったのですが、実家が関わっていました関係で、ライオンズクラブさんの国際交流イベントの一環で受け入れが決まりました。
シンガポールの中国系の女子高生キリンちゃんです。
メガネをかけ、痩身でとても聡明そうな女の子でした。そしてもちろん見かけと同じように非常に聡明な女の子でした。
とにかく女子高生ということで、ちょっと私も緊張していたのですが、やはり日本に興味がある生徒さんたちが選抜されて来日していましたので、キリンちゃん含め、皆さん本当に良い子たちでした。
彼女はちょっとはじめは緊張していましたが、とにかくはじめから「なぜ?」を連発。。。
ただ、そこで思わぬハプニングが…!
それは、(私に落ち度があったからですが…)彼女の話す英語がなかなか分からなかった、ということです。
”Pardon?”(もう一回言ってくれるかな?)
と何度聞いても、わからない…。
しまいには、絵と英単語を紙に書いて説明してもらう始末…。
”I heard Y had been to the States to study though...” (Y(*私の名前)はアメリカで勉強をしていた、と聞いていたんだけど…)
と、ぼそっと言われてしまう有り様…!?
これが、実は何日経っても中々解消せず、やはり分からないときは本当にわからないのです。
でも実はこれ、こういう事実があるのです。
それは、Singlish(シングリッシュ)という、SingaporeとEnglishの言葉が混ざった独特の英語をシンガポールの人々は話すから、ということです。
シングリッシュは、慣れていませんでしたら、きっと聞き取りが難しいものなのでしょう…。
いきなり私は面食らってしまい、コミュニケーションが中々はかどらなかった事にちょっと苛立ってしまいました。
ちなみに、シングリッシュを実際に聞いたのはその時が初めてでは無く、学生時代に一人旅のバックパッカーでアメリカのアムトラックという列車を使ってアメリカ国内を一周したことがあるのですが、その際にカナダ(ナイアガラの滝)で一緒になったユースホステルで出会った方がシンガポールの出身でした。
ユースではロビーなどで、色んな国籍の人たちが和気藹々と話します。私も仲良くなった人たちとよく話をしたものですが、その中にシンガポールの方がいました。しかし、アメリカの院留学生でしたので、アメリカンイングリッシュを使われていたのですよね。。
ですから、本格的なシングリッシュを聞いたのは、そのキリンちゃんが初めてでした。
また、彼女は上流階級の子どもさんでもありましたので、幼い頃から幼~高一貫のインターナショナルスクールに通っていました。(しかもイギリス系です。ただ、イマージョン教育と言う、習う教科毎に英語や中国語と分ける方式の学校ということです。例えば、理科は英語で、社会は中国語で習うというのがイマージョン教育です)
何はともあれ、1週間もすると少しずつ慣れてきて、彼女の突っ込んだ質問も分かるようになってきて、楽しくなってきたのでしたが。
彼女は、シンガポールの上流家庭クラスの方で、お父様は研究者でWWFにお勤めなど、知的な御一家のようでした。本人も、(双子の妹がいるようですが)大学は医学部、と決めていました。
と、そんな彼女ですので、質問も非常に細かかったものです!
私なんかでは役不足…と思いましたが、それでも一生懸命聞いてくれていました。
ちなみに和歌山市内で案内した場所は、
・和歌山城
・紀三井寺(除夜の鐘をつきに行きました)
・マリーナシティ
・親戚の(大きな…)家!
そのほか、
・USJ
・大阪(難波・梅田)
・大阪の母の友人宅
などでした。
本人はやはりTDRに行きたかったようですが、私の仕事もありましたので都合をつけてあげられず…。
それだけはちょっと残念ですが、それでも日本での日常生活というのも体験してもらえ、充実したものであったと思います。
彼女もやはり手平のイズミヤさんが気に入りました。
やはり女の子ですね!
NZのマオリの女の子達も大興奮でしたが、シンガポールの女子高生ももちろん。(…ちなみに私の子どもS君もイズミヤさんが大好きです、、、)
ただ、やはり彼女は女子高生ですので、イズミヤの広告を家でよくチェックしていました。そして、
「日本の広告はどうしてこんなに立派なのか?!」
と、半ば感心したような質問をまた私に投げかけてきました。
そうですよね…。日本の広告は本当に立派なのですよ!
私がいますアメリカの広告は、本当にペラペラです。カラーもそんなに質がよくありません。
しかし、日系スーパーのチラシだけは、日本と同様に質のしっかりした物を使っています。日本流なのです!
日本にいますと当たり前に思いますことが数々おありかと思いますが、海外に居ますとなんと有難いことか!と思うことがしばしばあります。
同じように、こうして和歌山で海外からの子ども達を受け入れることにより、私や私の家族なども、日本の当たり前が海外ではすごいことなんだ!と分かることができたことは有難いことです。
話は反れますが、私の旦那も日本の和菓子などを頂くたびに、包装が丁寧で本当にすごい!と感心します。毎回…!(そして額縁に入れてたこともありました!)
他にもシンガポールの彼女から学んだことは色々ありますが、シングリッシュと広告の件だけは今でもずっと覚えています。
確か…2002年のことだったと思います。(すみません、年数がちょっと曖昧です)
冬休み中の受け入れだったのですが、実家が関わっていました関係で、ライオンズクラブさんの国際交流イベントの一環で受け入れが決まりました。
シンガポールの中国系の女子高生キリンちゃんです。
メガネをかけ、痩身でとても聡明そうな女の子でした。そしてもちろん見かけと同じように非常に聡明な女の子でした。
とにかく女子高生ということで、ちょっと私も緊張していたのですが、やはり日本に興味がある生徒さんたちが選抜されて来日していましたので、キリンちゃん含め、皆さん本当に良い子たちでした。
彼女はちょっとはじめは緊張していましたが、とにかくはじめから「なぜ?」を連発。。。
ただ、そこで思わぬハプニングが…!
それは、(私に落ち度があったからですが…)彼女の話す英語がなかなか分からなかった、ということです。
”Pardon?”(もう一回言ってくれるかな?)
と何度聞いても、わからない…。
しまいには、絵と英単語を紙に書いて説明してもらう始末…。
”I heard Y had been to the States to study though...” (Y(*私の名前)はアメリカで勉強をしていた、と聞いていたんだけど…)
と、ぼそっと言われてしまう有り様…!?
これが、実は何日経っても中々解消せず、やはり分からないときは本当にわからないのです。
でも実はこれ、こういう事実があるのです。
それは、Singlish(シングリッシュ)という、SingaporeとEnglishの言葉が混ざった独特の英語をシンガポールの人々は話すから、ということです。
シングリッシュは、慣れていませんでしたら、きっと聞き取りが難しいものなのでしょう…。
いきなり私は面食らってしまい、コミュニケーションが中々はかどらなかった事にちょっと苛立ってしまいました。
ちなみに、シングリッシュを実際に聞いたのはその時が初めてでは無く、学生時代に一人旅のバックパッカーでアメリカのアムトラックという列車を使ってアメリカ国内を一周したことがあるのですが、その際にカナダ(ナイアガラの滝)で一緒になったユースホステルで出会った方がシンガポールの出身でした。
ユースではロビーなどで、色んな国籍の人たちが和気藹々と話します。私も仲良くなった人たちとよく話をしたものですが、その中にシンガポールの方がいました。しかし、アメリカの院留学生でしたので、アメリカンイングリッシュを使われていたのですよね。。
ですから、本格的なシングリッシュを聞いたのは、そのキリンちゃんが初めてでした。
また、彼女は上流階級の子どもさんでもありましたので、幼い頃から幼~高一貫のインターナショナルスクールに通っていました。(しかもイギリス系です。ただ、イマージョン教育と言う、習う教科毎に英語や中国語と分ける方式の学校ということです。例えば、理科は英語で、社会は中国語で習うというのがイマージョン教育です)
何はともあれ、1週間もすると少しずつ慣れてきて、彼女の突っ込んだ質問も分かるようになってきて、楽しくなってきたのでしたが。
彼女は、シンガポールの上流家庭クラスの方で、お父様は研究者でWWFにお勤めなど、知的な御一家のようでした。本人も、(双子の妹がいるようですが)大学は医学部、と決めていました。
と、そんな彼女ですので、質問も非常に細かかったものです!
私なんかでは役不足…と思いましたが、それでも一生懸命聞いてくれていました。
ちなみに和歌山市内で案内した場所は、
・和歌山城
・紀三井寺(除夜の鐘をつきに行きました)
・マリーナシティ
・親戚の(大きな…)家!
そのほか、
・USJ
・大阪(難波・梅田)
・大阪の母の友人宅
などでした。
本人はやはりTDRに行きたかったようですが、私の仕事もありましたので都合をつけてあげられず…。
それだけはちょっと残念ですが、それでも日本での日常生活というのも体験してもらえ、充実したものであったと思います。
彼女もやはり手平のイズミヤさんが気に入りました。
やはり女の子ですね!
NZのマオリの女の子達も大興奮でしたが、シンガポールの女子高生ももちろん。(…ちなみに私の子どもS君もイズミヤさんが大好きです、、、)
ただ、やはり彼女は女子高生ですので、イズミヤの広告を家でよくチェックしていました。そして、
「日本の広告はどうしてこんなに立派なのか?!」
と、半ば感心したような質問をまた私に投げかけてきました。
そうですよね…。日本の広告は本当に立派なのですよ!
私がいますアメリカの広告は、本当にペラペラです。カラーもそんなに質がよくありません。
しかし、日系スーパーのチラシだけは、日本と同様に質のしっかりした物を使っています。日本流なのです!
日本にいますと当たり前に思いますことが数々おありかと思いますが、海外に居ますとなんと有難いことか!と思うことがしばしばあります。
同じように、こうして和歌山で海外からの子ども達を受け入れることにより、私や私の家族なども、日本の当たり前が海外ではすごいことなんだ!と分かることができたことは有難いことです。
話は反れますが、私の旦那も日本の和菓子などを頂くたびに、包装が丁寧で本当にすごい!と感心します。毎回…!(そして額縁に入れてたこともありました!)
他にもシンガポールの彼女から学んだことは色々ありますが、シングリッシュと広告の件だけは今でもずっと覚えています。
2012年01月11日
和歌山でホームステイ受け入れ(1) NZマオリ族の子ども
(*画像は、こちらよりお借りしました)
和歌山市にある私の実家では、過去に2回、ホームステイの受け入れをしました。
1度目は、1998年に和歌山ビッグホエールで開催されました 「第1回アジアこどもフェスティバルin 和歌山」 に参加された子ども達の受け入れでした。(こちら を参照ください)
参加国は、中国、韓国、オーストラリア、インド、マレーシア、モンゴル、フィリピン、スリランカ、タイ、トルコ、台湾、マレーシア、そしニュージーランドです。
我が家が受け入れた子ども達は、ニュージーランドのマオリ族(ワンガヌイ・ア・タラ・マオリ芸術団)の女の子二人でした。(小学1年生ターシャと2年生アタレタ)
確か…2泊3日でホームスティを受け入れたと記憶しているのですが、楽しいけれども、ハプニング続き(!)の3日間でした。
ターシャとアタレタは、どちらもニュージーのマオリ族と白人の方との混血児で、二人ともマオリ語とマオリの踊りにとっても誇りを持っていました。
二人ともファミリー(大家族です!)の写真を広げて、あれこれお話してくれました。気さくな本当に明るい女の子達!スコーン!と抜けるような明るさ、と言ったら皆さんに伝わるでしょうか?
ところで、我が家に到着したばかりのとき、ハプニングが!
小2のアタレタが、「これは私のスーツケースでない!!!」と泣き出しました。。。
ということで、確かわざわざカバンを交換しに会場へ戻ったのを覚えていますが…。
そしてやっと荷物を二人とも開けて広げると…
「おみやげの大事なマオリの陶器ボールが壊れて粉々になってるーーー!!!」
と、大号泣…
マオリ族の民族模様が描かれた陶器のボール。美しいものです。それが…!
可愛そうでしたので、私達家族で瞬間接着剤を使ってまるでパズルの組み合わせのようにチマチマしながら修復(!)しました。
やっと彼女に笑顔が戻り、色々お話をしてからシャワーを浴びてもらい、夜のご飯の時間になりました。
事前から、何にしようかな~?と母と相談していたのですが、天ぷらとから揚げなどにしました。
ターシャは食べました。日本の文化や言葉に興味を示していた彼女なので、食べ物も興味あったのでしょうね。
一方、アタレタは、一口も食べません。そして何が食べたい?と聞くと、「ポテトチップス!!!」
でも、夕飯にチップスもね~といいながらも、一先ず二人を連れて近くのファミリーマートさんに走っていきました。(サンドイッチや他にも食べられるものがあれば、と思い)
着くや否や、「これ何?」と、アタレタ。
「じゃがりこ」というお菓子に興味があったアタレタ。
家に帰って、サンドイッチなどをちゃんと食べてからお菓子にしましょう、と言い聞かせて、アタレタはようやく夕飯を食べてくれました。
そしてデザートの「じゃがりこ」を食べた瞬間…「It's sooooooooooooo GOOOOOOOOD!!!!!!」(おいしーーーーーーー!!)
もう言葉にならないように感激してました。^^:
ということで、彼女達へのお別れで渡してあげたお土産は、サンリオのキティグッズとじゃがりこでした。
二人ともキティもじゃがりこ(苦笑…)も大好きなので、本当に喜んでいました。
ちなみに二日目の朝、用事も兼ねて手平のイズミヤさんへ二人を連れて出かけました。
そしたら…
「わぁ~~~~~~~い!!!!!!いっぱいぶらさがってる~~~~!!!」
と、天井からぶら下がっている風船や色々なものに興味津々。
そして、とうとう二人で踊り始めました。^^:
更に、フリップフラップ(*英語でビーチサンダルのことをこう呼びます)を脱ぎ捨て(!!)裸足でイズミヤさんの中を歩き出す始末。。。
「ターシャ、アタレタ!ここはみんな、買い物をするところだから、走ったり踊らないで静かに歩こうね。…そしてフリップフラップもちゃんと履こうね。」
「…でも、NZでは、わたしずっと、ハダシだもん。」
とターシャ。
子ども達の「でもでも」攻撃を交わしながら、ひとまず靴をはかせ、静かに歩いてもらうことにしました。^^:
…が、サンリオに近づくと興奮が鎮まらず、またもや大はしゃぎ。
子どもなので、「ほしい、ほしい」ばかりでしたが、彼らの団長さんからのお約束がありましたので、買ってあげることをせず、密かに選んでお別れの日のプレゼントにしてあげました。
とにかくさすが女の子!ショッピング熱は、小学1年生からたいしたものです!
特に日本のショッピングは、どの国の子ども達にとっても楽しいでしょう、と思います。だから彼女達がイズミヤさんではしゃいだのも気持ちはわかります。^^ (でも、マナーは教えてあげないと…と私は当時躍起になっていました。)
ショッピングから家に戻り、その午後は、我が家の親戚の女の子(当時小1か2)も招いてマリーナシティへ皆で行きました。
やはり子どもの年齢が近いと、言葉の壁もものともせずすぐに仲良くなってくれました。
そしてその夜、その親戚の女の子も一緒にお泊りをしました。
もちろん中々寝ません!
実家の家の中を駆け回り、色々な部屋(空き部屋がいくつかあります)でコソコソお話をしたり。
年齢が近い女の子3人なので、女の子ワールドが出来上がっていたのでしょうね。
でも余りにも遅くまで起きているので、そろそろ…と思い見に行くと、手遊び歌をして遊んでいました。
日本の「せっせっせーのよいよいよい」のような遊びです。
しかし、歌詞が随分違うのです。。。
「チャイニーズ、ジャパニーズ アー ソー ファーニー!One,Two,Three!!」
とじゃんけんする遊びでした!
訳をすると、「中国人、日本人はおかしいなぁ~おもしろいなぁ~」となりますでしょうか。
私は思わず、「これNZのお遊び?」と聞きました。
そしたら、二人とも、「うん!こうやって遊ぶの!みんな知ってるよ~」と。
子ども達は意味もよく分からず遊んでいるのでしょうね。^^:
私も特に突っ込んで意味を詮索することをしないで(!)、他のお遊びも教えて~と促して色々聞きました。
このように、子供たちを預かりホームステイ受け入れをさせて頂いたのですが、私自身もたくさん学べました。
NZの言葉には慣れていず、しかも子どもの英語には手こずりました…。
しかし、私が言う英語はきちんと理解してくれていましたので、何とか3日間乗り越えられたと言いますか…。
何より、このホームスティで一番成長してくれたのはきっとNZのマオリ族の女の子達でしょうか。
異文化体験、そして知らない家庭で寝泊りする・・・。そしてダンスのお披露目。
本当によくがんばってくれました。
私自身も、このような機会を持てたことに感謝しています。
このような経験を「何か」の形で残していけるように、私もこれからがんばらないと、と思います。
さて、次のブログ記事は 和歌山でホームスティ受け入れ(2)-シンガポールの高校生- です。
御興味ございましたら是非お読み下さいね。^^